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教員リレーエッセイ第8回「公共政策と専門家:評価に基づく『シビリアン・コントロール』」


【専門化する公共政策 】
 現代社会において、公共政策の多くは、もはや高度な専門知識なしには語れなくなっています。その最たる例が「科学技術政策」だと言えるでしょう([ブックリスト]城山(2018)、南島編(2025)を参照)。日頃から新聞やニュースに触れている方なら、日本の宇宙開発においてH3ロケットの開発が難航している事実をご存じだと思います。しかし、一回一回の打ち上げ失敗が、将来への技術的な蓄積として意味のある「尊い失敗」なのか、それとも単なる失策に過ぎないのか。宇宙工学やその周辺領域を修めていない私たち「素人」の目には、その実相を見極めることは困難です。

JAXA 筑波宇宙センターの視察

 宇宙開発だけではありません。近年、核融合発電に関連して「フュージョンエネルギー」という用語を耳にする機会が増えました。この技術は、従来の原子力技術といかなる断絶、あるいは連続性を持っているのでしょうか。福島第一原発事故の記憶に加え、直近の2026年1月末には東京電力柏崎刈羽原発6号機の制御棒トラブルがあったばかりです。新たなエネルギー技術に対して、私たちの安心と安全はいかに担保されるのか。これは見過ごせない問いですが、やはり原子力工学などを修めていない私たちには理解が追いつきません。
 あるいは、頻発する自然災害に対して、私たちはどのような術(すべ)を持ち得るのでしょうか。気象庁による緊急地震速報や噴火警報は適切なのか。その予測のために導入される新たな衛星やスーパーコンピューターは、コストに見合う効果をもたらすのか。ここでも私たちは、「エキスパート」の判断にその身を委ねざるを得ません([ブックガイド]若林(2025)、評価については特に第3章を参照)。
 さらに、私たち「素人」にとってブラックボックス化しているのが防衛政策の領域です。たとえば、2016年頃に開始した「電磁加速システムの研究」事業。いわゆる「レールガン」の研究ですが、この事業の成否を見通せた者がどれだけいたでしょうか。私自身、当時まるでSFやお伽噺のように感じられたものですが、2023年、2025年と洋上射撃試験に成功しました。なかなか素人感覚は当たらないものだと実感しました。
 本学の学生の皆さんが将来関わるであろうグローバルな公共政策の諸領域もまた、専門家たちが活躍する世界です。開発協力の現場を思い浮かべてみれば、国際機関の職員、各国・各自治体の公務員、コンサルタント、NGO職員といった多様なアクターが登場します。そこには外交官や地域の専門家、開発学、公衆衛生、教育、土木工学、マネジメントといった分野ごとのプロフェッショナルがネットワークを形成しています([ブックガイド]開発協力における評価について、三上(2025)を参照)。あるいは皆さんの中からも、その一員となる者が現れるかもしれません。
 こうしたグローバルな領域が先述の科学技術と結びつくとき、事態はさらに複雑化します。日英伊による次期戦闘機の共同開発、いわゆる「グローバル航空プログラム」や、その共同管理のための国際機関GIGO(GCAP International Government Organisation)がどのように作動するのか。これらを知らずして、私たちが正確な判断を下すことは困難です。
 しかし、民主主義を大切にする以上、最終的な決定権は主権者である私たち国民/住民になければなりません。ここに、現代の民主主義の大きなジレンマがあります。専門家が公共政策に携わるのは、その専門性ゆえです。彼らは選挙という民主主義の洗礼を受けていない点で、政治家とは決定的に異なります。にもかかわらず、素人である私たちが、その善し悪しを判断しなければならない。「高度な公共政策には専門家の知見が不可欠である(専門性)」、一方で「非民主的な専門家を民主的プロセスで統制しなければならない(民主主義)」という二律背反。このジレンマをいかにして乗り越えるか。両者を結びつけるための鍵となるのが、政策評価(Policy Evaluation)という仕組み、仕掛けです。

(出典)外務省ウェブサイト
経済協力評価・ODA 評価報告書の表紙の変遷(2003年度から2025年度)

【評価と指標:インテリジェンス・ツールの回路設計】
 「評価」という言葉から、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。学校の成績表や会社の業績査定など、日本社会においてこの言葉は、しばしばネガティブな響きを帯びます。上から目線でチェックされ、失敗すれば減点され、叱られ、予算をカットされる。いわば「監視と処罰」のツールとしてのイメージが強いかもしれません。
 しかし、本来の「政策評価」とは、意思決定を支援するための情報を生み出す、もっとニュートラルな営みです。社会科学の手法を駆使してデータを収集・分析し、それを「インテリジェンス(情報)」に高め、評価報告書として世に問うのです。端的に言えば、評価とは「インテリジェンス・ツール」なのです。このツールに編み出される「情報回路」こそが、専門家と国民/住民の間に横たわる溝に橋を架ける役割を果たします。専門家集団には、自らの活動の意図と成果、あるいは失敗の理由について、専門知識を持たない人々が納得できるよう説明する責任があります。「アカウンタビリティ(説明責任)」と呼ばれるこの概念をメカニズムとして実現する上で、評価は不可欠な役割を担っています。
 ようするに、評価は決して、単なるコストカットや粗探しの道具ではないのです。もっとも、それが正しく機能するためには、「誰が、誰に対し、いつ、いかなる目的で、どのような手法で行うか」といった、制度設計と制度運用の視点が問われます。これは「政策評価論」や「評価学」の領分であり、本学の講義でも詳しく扱っているテーマです。
 それでは、専門家と国民/住民を繋ぐ鍵が「納得」にあるとして、それはどのようにもたらされるのでしょうか。まず思いつくのは、数字と客観性に基づく指標でしょうか。昨今の「EBPM(証拠に基づく政策立案)」の再流行も、科学的で「客観的」なエビデンスが納得の源泉になるという発想に基づいています([ブックガイド]EBPMの議論については、杉谷(2024)を参照)。「ロケット開発の経済効果は何億円か」、「途上国援助によって国連で日本に味方する国は何カ国増えたか」。確かに、数量化された指標はわかりやすいものです。しかし、そこには陥穽も潜んでいます。
(一)数量化の罠
 科学技術や国際協力の世界では、成果が数字になじまなかったり、成果が出るまでに長い時間を要したりすることが少なくありません。基礎研究に対し、短期的な商業的利益を求めることはナンセンスでしょう。一見すると失敗に見える実験が、10年後のブレイクスルーの礎となることもあります。国際協力における「信頼関係の醸成」や「地域の安定」といった成果も同様です。これらは現地に赴き、肌感覚として理解される類のものでもあります。こうした文脈では、無味乾燥な数字よりも、住民を巻き込んだ物語(ナラティヴ)の方が説得力を持つ場合があります。あたかも小説のように現地の人々の生活と想いを描き出したインド高速鉄道に対する開発協力の評価([ブックガイド]JICA(2016)を参照)が好例です。無理に数量化を強行すれば、「論文の数」や「会議の回数」といった、本質を欠いた指標ばかりが自己目的化してしまう恐れさえあります。
(二)専門家の経験と「勘」
 さらに見過ごせないのは、高度な専門領域において、完全な「客観性」など望むべくもないという事実です。最先端の研究開発や、刻一刻と状況が変わる現場においては、データだけでは割り切れない判断が求められます。それは専門家の「暗黙知」や、経験に裏打ちされた「勘」、そして「裁量」という、いわば職人芸の領域です。実のところ、最先端の議論では何が正しいのか専門家すら判断に困るという、まさに暗中模索な場合が多いのです。予算のプロセスにも似たところがあります。もし評価やエビデンスで一挙手一投足を縛ろうとすれば、専門家の自由な発想や自律性をそぐことになります。逆にすべてを託してしまうと、それは「専門家にしか分からない」ブラックボックス化、すなわち民主的統制の欠如を招いてしまいます。
(三)民主的統制の副作用
 一方で、民主的統制が常に正しいわけでもありません。民主主義には「副作用」も伴います。ポピュリズムや陰謀論、排外的なナショナリズムによって、非専門的で誤った判断が下されるリスクは、米国のトランプ政権などの事例を見るまでもなく明らかです。また、専門家を縛る評価が過剰になれば、専門家はその対応に忙殺され、本来の業務が機能不全に陥ります。「アカウンタビリティのジレンマ」とも呼ぶべき事態であり、これでは国民/住民が不利益を被るという本末転倒な結果を招きます([ブックガイド]南島編,張替・山谷(2020)を参照)。求められているのは、専門性を最大限に発揮させつつ、民主的統制もきちんと確保するという、極めて微妙な「バランス」の模索なのです。
【むすび:民主主義と専門性のバランス】
 かつて「シビリアン・コントロール(文民統制)」という言葉は、軍という強大な専門家集団の暴走を、民主的な正統性を持つ政治家がいかに抑止するか、という文脈で用いられました。しかし、現代社会においてこの民主主義と専門家の構造は、軍事以外のあらゆる専門領域へと広がっています。
 専門知と民主主義。両者に必要なのは、安易な融合ではなく、健全な緊張関係を保ったバランスです。専門家を盲信するテクノクラシーでもなく、かといって専門知を軽視するポピュリズムでもない。この微妙なバランスをいかに管理、マネジメントすればよいか。公共政策の「評価」という視座から、皆さんも共に考えてみませんか。将来、皆さんが専門家としてグローバルな課題や科学技術の最前線に立ったとき、あるいは一人の「市民」として向き合うとき、きっと役立つことでしょう。

評価もまたグローバルな専門家の世界です。国連傘下の若手評価者国際ネットワークEvalYouth
日本支部設立準備のための会合にて、日本側共同代表3名とネパール、スリランカの専門家。

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【筆者】
三上 真嗣 講師

同志社大学大学院 総合政策科学研究科博士課程 博士(政策科学)
専門は行政学、政策学、政治学
同志社大学政策学部を経て現職
【学んだ専門用語】
政策評価、アカウンタビリティ、科学技術政策、民主主義、シビリアン・コントロール

【高校生・大学生のためのブックガイド】
<書籍>
城山英明(2018)『科学技術と政治』ミネルヴァ書房
杉谷和哉(2024)『日本の政策はなぜ機能しないのか?』光文社
南島和久編、張替正敏・山谷清志(2020)『JAXAの研究開発と評価―研究開発のアカウンタビリティ―』晃洋書房
三上真嗣(2025)『評価と行政管理の政策学―外務省と開発協力行政―』晃洋書房
山谷清志監、南島和久編(2025)『科学技術政策とアカウンタビリティ』晃洋書房
若林悠(2025)『気象庁―危機と改革の時代を超えて―』東京大学出版会

<ウェブ資料>
JICA(2016)Breaking Ground: A Narrative on the Making of Delhi Metro.
URL: https://www.jica.go.jp/Resource/activities/evaluation/ku57pq00001zf034-att/analysis_en_01.pdf, Retrieved on January 31, 2026.