教員リレーエッセー第2回『惰性と覚悟』
<24歳東京>
1997年夏に起きたアジア金融危機の年に初職で銀行に就職し、その年や翌年の大手金融機関の相次ぐ破綻を目の当たりにしました。当時の私は融資先企業の債務整理に参加したり、不動産担保を追加で要求したり、時代を象徴するような仕事に明け暮れました。景気が悪いことで世間のムードも良くなく、倒産が連鎖しました。企業の業績が悪化すれば、銀行はその企業には融資できません。結果、社会全体が負の連鎖に陥っていきました。以後物価も下落し、賃金が上がらず、今日に至って物価だけが上がりつつあるのです。
1997年夏に起きたアジア金融危機の年に初職で銀行に就職し、その年や翌年の大手金融機関の相次ぐ破綻を目の当たりにしました。当時の私は融資先企業の債務整理に参加したり、不動産担保を追加で要求したり、時代を象徴するような仕事に明け暮れました。景気が悪いことで世間のムードも良くなく、倒産が連鎖しました。企業の業績が悪化すれば、銀行はその企業には融資できません。結果、社会全体が負の連鎖に陥っていきました。以後物価も下落し、賃金が上がらず、今日に至って物価だけが上がりつつあるのです。
【筆者】
中川 亮平 教授
大阪市立大学大学院経営学研究科後期博士課程単位取得退学 博士(経営学)
専門は企業統治、労働経済
京都外国語大学国際貢献学部グローバルスタディーズ学科准教授・副学科長などを経て現職
中川 亮平 教授
大阪市立大学大学院経営学研究科後期博士課程単位取得退学 博士(経営学)
専門は企業統治、労働経済
京都外国語大学国際貢献学部グローバルスタディーズ学科准教授・副学科長などを経て現職
世の中の縮図が職場内にもありました。日本の都市銀行の職場は斉一性がとても強く、かつ上下関係も厳しく時に理不尽なものでした。週に2回は何かしらの酒の席がありました。職場の誰かに人事異動の発令があれば転出まで毎日(これが年間通じて恒常的にあります!)、仕事を早く切り上げて宴会に向かい、これが夜中まで続きます。若手の当時はお店の手配から職場内での出席の調整や精算を率先してやらないといけませんでした。宴会芸も、得意ではありませんが、仕事の一環です。やらせるならちゃんと笑うのもあなたたちの仕事だろ、と今でも思っています。苦手ではないのですがゴルフをしない私は社会人として失格扱いでした。こういう世界で活き活きと能力を発揮する人たちも多くいますが、私のようにくすぶる人たちも同じくらいいるでしょう。
<28歳ニューヨーク>
まだ若かった私は銀行を一念発起で退職し、2001年8月に大学院留学のためニューヨークに移り住みました。新学期が始まって10日くらい経った2001年9月11日朝の午前8時過ぎ、旅客機がニューヨークの巨大ビル2棟に突っ込む前代未聞の凄惨なテロ事件が起きました。事件以降のニューヨークの街の張り詰めた空気感は、今でもとても鮮明に覚えています。やがて対テロ戦争という大義名分で、米国を中心にイラク戦争に突入していきます。日本も加担しました。
この張り詰めた状況で、現地の人々には2種類の行動パターンが見られました。1つは、有事の時こそ人種に関係なく住民同士で融和していこうと考えた人たちです。私の周辺は国際関係論を学ぶ学生たちでしたので、おおかたこちらのパターンでした。普段から真に多様な人たちが暮らすマンハッタンの人たちには、壮絶なテロを経験したにもかかわらず、報復してやろうという発想は浮かばなかっただろうと思います。ややこしいのは2つ目のグループです。これはニューヨークやワシントンD.C.などテロが実際に起きた場所以外で多く見られた、特に保守的な考え方を持つ人々に多い反応でした。「真珠湾以来の本土攻撃」として対テロ戦争、特にイスラム教過激派を仮想敵として怒りをあらわにする人たちが多く見られました。ナイーブな人たちは、肌が褐色であればイスラム教徒だと思い込んで無差別にリンチをするような事件も多発しました。この差別と偏見のムードは残念ながら元々あったもので、今でも続いています。テロ事件などをきっかけに、潜在的にあった感情が表面化したのです。
ムードに流されたのは、なにもナイーブな市民だけではありません。当初はイラク戦争に反対していた一定数の米国の国会議員たちも、やがてムードに流されていき、最後は議会が全会一致でイラク攻撃に賛成の票を入れたのです。多様性と個人主義の国と言われるアメリカでも、強烈な同調圧力が働いていました。
まだ若かった私は銀行を一念発起で退職し、2001年8月に大学院留学のためニューヨークに移り住みました。新学期が始まって10日くらい経った2001年9月11日朝の午前8時過ぎ、旅客機がニューヨークの巨大ビル2棟に突っ込む前代未聞の凄惨なテロ事件が起きました。事件以降のニューヨークの街の張り詰めた空気感は、今でもとても鮮明に覚えています。やがて対テロ戦争という大義名分で、米国を中心にイラク戦争に突入していきます。日本も加担しました。
この張り詰めた状況で、現地の人々には2種類の行動パターンが見られました。1つは、有事の時こそ人種に関係なく住民同士で融和していこうと考えた人たちです。私の周辺は国際関係論を学ぶ学生たちでしたので、おおかたこちらのパターンでした。普段から真に多様な人たちが暮らすマンハッタンの人たちには、壮絶なテロを経験したにもかかわらず、報復してやろうという発想は浮かばなかっただろうと思います。ややこしいのは2つ目のグループです。これはニューヨークやワシントンD.C.などテロが実際に起きた場所以外で多く見られた、特に保守的な考え方を持つ人々に多い反応でした。「真珠湾以来の本土攻撃」として対テロ戦争、特にイスラム教過激派を仮想敵として怒りをあらわにする人たちが多く見られました。ナイーブな人たちは、肌が褐色であればイスラム教徒だと思い込んで無差別にリンチをするような事件も多発しました。この差別と偏見のムードは残念ながら元々あったもので、今でも続いています。テロ事件などをきっかけに、潜在的にあった感情が表面化したのです。
ムードに流されたのは、なにもナイーブな市民だけではありません。当初はイラク戦争に反対していた一定数の米国の国会議員たちも、やがてムードに流されていき、最後は議会が全会一致でイラク攻撃に賛成の票を入れたのです。多様性と個人主義の国と言われるアメリカでも、強烈な同調圧力が働いていました。
出身地を指さすアナリストチーム(筆者右端)
<35歳ニューヨーク>
大学院を修了し、ニューヨークにある金融機関にアナリストとして就職しました。2年前に2台の旅客機が追突したWorld Trade Centerから歩いてすぐの、アメリカの金融資本主義を象徴するウォール街のビルの56階でした。就職して数年間はトリプルAの格付の優良企業でしたが、2007年の終わりくらいから雲行きが怪しくなっていきます。2008年に入ると投資銀行業界の大手ベア・スターンズ、メリルリンチ、リーマン・ブラザーズが破綻していきます。リーマン・ブラザーズが破綻した翌日の深夜には、私がいたアメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)も実質破綻しました(他の投資銀行とは異なり国に救済されました)。
このいわゆるリーマンショックは、低所得者向けの住宅ローン(サブプライム・モーゲッジ)を債券化して他の金融商品とごちゃ混ぜにしたものが再度市場に出回るという、いわゆるねずみ講のようなことがまかり通った後、最後には金融バブルが弾けた現象です。返済能力の低い人たちでも自分の家を持てること自体は良い面はありますが、借りた金を返済できなければその仕組みが持続可能であるわけがありません。そんなことは子供でもわかることでしょう。しかし、このごちゃ混ぜ金融商品の債務担保証券(CDO)という市場は2000年代半ばくらいまでのバブル形成当初は収益率が高く、新たな金融枠組みとして多くの金融関係者が盲目的に群がりました。サブプライム・バブルはこうしてナイーブに神話を信じた借り手・貸し手・証券会社・格付機関などが同調的に群がって起きた事件でした。かく言う私はこの会社にいながら自社のナイーブさに十分気づけていなかったわけですが、自社が世界に及ぼした損害や迷惑の重さを痛感し、それが研究者に転身する動機を与えてくれました。
大学院を修了し、ニューヨークにある金融機関にアナリストとして就職しました。2年前に2台の旅客機が追突したWorld Trade Centerから歩いてすぐの、アメリカの金融資本主義を象徴するウォール街のビルの56階でした。就職して数年間はトリプルAの格付の優良企業でしたが、2007年の終わりくらいから雲行きが怪しくなっていきます。2008年に入ると投資銀行業界の大手ベア・スターンズ、メリルリンチ、リーマン・ブラザーズが破綻していきます。リーマン・ブラザーズが破綻した翌日の深夜には、私がいたアメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)も実質破綻しました(他の投資銀行とは異なり国に救済されました)。
このいわゆるリーマンショックは、低所得者向けの住宅ローン(サブプライム・モーゲッジ)を債券化して他の金融商品とごちゃ混ぜにしたものが再度市場に出回るという、いわゆるねずみ講のようなことがまかり通った後、最後には金融バブルが弾けた現象です。返済能力の低い人たちでも自分の家を持てること自体は良い面はありますが、借りた金を返済できなければその仕組みが持続可能であるわけがありません。そんなことは子供でもわかることでしょう。しかし、このごちゃ混ぜ金融商品の債務担保証券(CDO)という市場は2000年代半ばくらいまでのバブル形成当初は収益率が高く、新たな金融枠組みとして多くの金融関係者が盲目的に群がりました。サブプライム・バブルはこうしてナイーブに神話を信じた借り手・貸し手・証券会社・格付機関などが同調的に群がって起きた事件でした。かく言う私はこの会社にいながら自社のナイーブさに十分気づけていなかったわけですが、自社が世界に及ぼした損害や迷惑の重さを痛感し、それが研究者に転身する動機を与えてくれました。
20世紀後半にノーベル経済学賞も受賞して影響力があった米国の経済学者ミルトン・フリードマンは、「企業の社会的責任は利潤を増やすこと(The Social Responsibility of Business is to Increase its Profits)」という論説を1970年にニューヨーク・タイムズに載せ、これが大いに話題になりました。決して米国の全ての会社・全てのビジネスパーソンに当てはまるわけではありませんが、このフリードマンの考え方が以後の米国におけるビジネスと社会の関係に大いに影響力を与えました。そしてそれは世界にも波及しました。たしかに会社は利益をあげなければ従業員への給与もままならず、将来への様々な投資も出来ません。しかしフリードマンの説を「利益さえ増やしていればよい」と解釈したり、過剰に利益を追い求めたりするような風潮を生み、世の中のビジネスパーソンはその斉一性に流されていきました。そして米国で経営学修士(MBA)を取得してケタ外れの給料をもらうことがステータスだと考えられてきました。多くの企業はいわゆる金融資本主義と言われる世界でマネーゲームに興じていき、エンロン事件などの粉飾会計やAIGが関わったリーマンショックも、その副産物だと言えます。しかも流されたのは企業やビジネスパーソンばかりではなく、多くの経済学者・経営学者なども同様でした。こうした研究者たちも同調圧力に疑問を呈すことなく、むしろ反対論者への攻撃を強めたりしていたのです。
このように、資本市場は一種の同調行動で形成されています。問題は、本質を見ずにムードで信用が形成されてしまうことです。その信用が破綻すれば、バブルが弾けます。以後、2000年代に始まったグローバルコンパクトによる世界的な協調の流れ(皆さんご存知のSDGsもこの流れから生まれました)の一方で、移民流入への抵抗・Brexit・トランプ現象や戦争再燃という右傾化の強力なうねりがあり、社会的・世界的な分断が起きています。そして分断は更に扇動され、それが政治利用されています。今私たちが目にしている世界はこれです。
こうした分断を大雑把に分類すると、主に2種類の危うい人々で構成されていることがわかります。1つはリベラルな考え方に無批判に陶酔する人々です。そしてもう1つは、社会的弱者への耳ざわりのいい無責任な発言に心酔し、その属性以外の人たちを徹底的に排除する信者たちです。これらは両極端のようですが、特定の言説しか信用しない点で共通しています。
このようにナイーブな状態によって世に分断が起こるのです。私たちのような市井の人も、強く生きるために一生学びが必要です。大学はその道しるべを提供する場所です。グローバルに社会をとらえることとは、こうして視点を変えて物事を考える力を養うことです。しかし、大学は答えを与えてはくれません。自分でお探しください。
そして世の中や組織を良くするためには、世の風潮や組織の論理に流されずに、リスクを伴ってでも自らが正しいと信じる発言をする勇気を持つ必要があります。このような発言を、20世紀フランスの思想家のミシェル・フーコーはパレーシアと呼びました。これは仮想空間で飛び交う無責任な放言とは対極にあります。そして発言を聞く側も、パレーシアに対峙して真摯に耳を傾ける勇気を持つ必要があるのです。話し手と聞き手の相互作用で、パレーシアを通じて少しずつ身の周りから良い世の中にしていきませんか。
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【学んだ専門用語】
金融資本主義、信用、バブル、企業の社会的責任、斉一性、同調圧力
【高校生・大学生のためのブックガイド】
宇野重規(2020).『民主主義とは何か』講談社現代新書.
小野塚知二(2018).『経済史―いまを知り、未来を生きるために』有斐閣.
キャス・サンスティーン(2023).『同調圧力—デモクラシーの社会心理学』白水社.
Foucault, M. (2001). Fearless Speech, Semiotext.(中山元訳『真理とディスクール─パレーシア講義─』筑摩書房、2002年).
【学んだ専門用語】
金融資本主義、信用、バブル、企業の社会的責任、斉一性、同調圧力
【高校生・大学生のためのブックガイド】
宇野重規(2020).『民主主義とは何か』講談社現代新書.
小野塚知二(2018).『経済史―いまを知り、未来を生きるために』有斐閣.
キャス・サンスティーン(2023).『同調圧力—デモクラシーの社会心理学』白水社.
Foucault, M. (2001). Fearless Speech, Semiotext.(中山元訳『真理とディスクール─パレーシア講義─』筑摩書房、2002年).