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子どもたちに「自由な自己表現の場を」。音楽×保育で個性を育む、ピアニストの挑戦


〈健康発達学部 こども学科 安氏 洋子 准教授〉

長野県立大学が目指すソーシャルイノベーション。その実現には、理論と実践の両輪が欠かせません。本学には、地域に深く入り込むフィールドリサーチと、そこから得た知見を地域に還元する実践の双方に取り組む、個性豊かな教員が数多くいます。

一方で、教員が何を考え、どのような思いで研究や実践に向き合っているのかは、必ずしも見えやすいとは言えません。

そこで、教員に最も近い存在である長野県立大学の学生が、各学部の教員に直接インタビューを行いました。地域と協働しながら、どのようなソーシャルイノベーションを生み出そうとしているのか。その取り組みと思いを、学生の視点から掘り下げていきます。

本記事では、健康発達学部こども学科 安氏 洋子 准教授のインタビューをお届けします。

音楽教育・保育表現を専門とし、これまで東京・福岡でも活動してきた安氏先生。音楽をうまく演奏することではなく、子どもにとっての“表現の始まり”として捉える先生の考え方。さらに、長野に来るまでの経緯、音楽と保育が交わったターニングポイントを語っていただきました。

インタビュー日:2025年10月20日
聞き手・書き手:白橋 聖來(長野県立大学グローバルマネジメント学部 1年 学生コーディネーター)
聞き手・編集:北埜 航太(長野県立大学 ソーシャル・イノベーション創出センター 地域コーディネーター)

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子どもの表現力を育み、親の子育てを応援する。保育×音楽の意外な関係

──安氏先生のこれまでの活動や現在の研究分野について教えてください。

もともとは、国立音楽大学と大学院でクラシックピアノを専門に学び、ピアニストとして演奏活動をしてきました。大学では、いわゆる演奏者としての音楽を学んできましたが、現在は、音楽そのものというよりは子どもたちにとっての音楽の表現の仕方をテーマに、保育や子育て支援、地域活動などに結びつけた研究を行っています。

──保育や子育て支援に音楽が関係するということですか?

そうですね。子どもが音楽を通してどう自己表現できていくのか、そこにすごく関心があります。

元々は完全にクラシックの世界で、ピアノを専門として「どう美しく弾くか」「どう技術を高めるか」が中心でした。

でも保育の現場を知ると、音楽は上手に演奏するためだけにあるんじゃないと気づいたんです。子どもは「音を楽しむ」ところから始まる。上手い・下手ではなく、表現の始まりとして音を鳴らす。子どもの自己表現力を育むという視点で音楽を捉えなおすようになりました。

──音楽と子育て支援の関係についてはいかがですか?

子育て支援として音楽が役に立てないだろうか、と考えています。子育て中の保護者、とくにお母さんは、やることが多い。生まれたすぐの時期って、働きに戻る人も増えていますけど、預ける場所がない、近くに親戚がいない、となると、どうしても赤ちゃんと自分の1対1の関係が続いてしまう。社会と切り離されたような気持ちになって、産後うつにつながることもあると言われています。だから、音楽を通してリラックスしたり、気持ちが少しほどけたりしないかな、と考えるようになりました。

──音楽って、子どものためだけじゃなくて、保護者のためでもあるんですね。

泣いても、走ってもいい。「ファミリーコンサート」を親子の“自由な表現の場”に

──先生が取り組まれている「ファミリーコンサート」は、まさにお子さんの自己表現と親の癒しを組み合わせたような地域に開かれた実践ですね。

そうなんです。長野市芸術館で、0歳から参加できるコンサートを開催しました。コロナ禍で親子が家の中に閉じこもりがちになって精神的にも参ってしまう人が増えていたのを感じていたので、親子で遊びに行ける空間を音楽を通して作れないかと。

普通のコンサートって『泣かないで静かに』が前提になりがちです。でも子育て中だと、それが大きなハードルになる。だから最初に、泣いていい、途中で出なくていい、とマイクで伝え、子ども本来の表現を自由にしていいんだよっていう空間を生み出すことを工夫しています。小さな子どもたちは声を出すことが仕事みたいなものですからね。

──参加された親子はどんな反応でしたか?

前にやったときは、泣いちゃうからって急いで出て行くお母さんがいたんです。やっぱり『迷惑をかけちゃいけない』って思ってしまう。でも、泣くのは当たり前だし、みんな分かっている。だから『泣いてもそのまま聴いてください』と言ったんですね。そうしたら、走り回ったり、大きい声が出たりもしましたけど、それも含めて、その日の空間でしか起きない音で、新鮮でしたね。

本当は、子どもたちの泣き声や話し声さえも音楽だと考えることができると思うんです。現代音楽の話で言えば、聴衆の音も含めて音楽とするような考え方もあります。ジョン・ケージの『4分33秒』という曲は象徴的で。だから、その場の泣き声や足音も含めて『その日の音楽』なんだと思っています。

──そこを『妨害』と見ない、という姿勢ですね。

そうなんです。だから、そういう“自由にしていい空間”を公共として作る価値があると思っています。

コンサートの最後にはステージに子どもが上がって、一緒に踊る企画を入れたことがあるんです。子どもたちは恥ずかしがり屋で、出てきてくれないんじゃないかと心配してたんですけど、出たい出たいって手が上がって、壇上に上がってきてくれる子が多かった。自己表現する場を求めている子どもが実は多いんだな、と実感しました。

──ファミリーコンサートって、音楽の場であると同時に、子どもの自己表現を許す場でもあるんですね。

そうなんです。保護者の方からの反応もすごく好評で。『すごく良かったです』と言ってくださったり。それと一番多い声が『継続してほしい』です。

ただ、継続って難しい。準備も大変だし、学生が出演する場合はモチベーションも保たないといけない。ホールとのやり取りもある。お金もかかるので、単発で終わってしまうことが多いように感じます。でもアンケートにも『続けてほしい』とたくさん書いてあって、そこが今の課題です。

聴く力を養うことからはじまる、その子らしい表現力のひらき方

──先生の話を聞いていると、音楽とは本来「音を楽しむ」というシンプルなものなのだと感じます。

本当は上手い下手じゃないんですよね。そもそも子どもの音楽の始まりって、実は喃語※の『あーあー』みたいな声だったり、お母さんとの応答的なやり取りだったりするんです。先生が替え歌にして名前を呼びかけ、それに子どもが歌いながら応答するやり取りも、音楽の芽生えですよね。

これは子どもとの関わり方についてのヒントにもなります。『何々しなさい』って命令形で言うんじゃなくて、歌やフレーズなど音楽のように伝えると、子どもも言葉を返してくれる。抑揚や間があるだけで、コミュニケーションが音楽的になってスムーズになる。このように少し高めのトーンで、抑揚が大きく、ゆっくりと伝えることを“マザリーズ”と言うんですけど、お子さんとの会話で意識してみるといいかもしれません。

──音を楽しむ、音楽的なコミュニケーションを心がけると親子の会話もスムーズになるんですね。

そうですね。歌って聴覚にダイレクトに届きます。それは聴覚が、胎内で最初にできるから。そして死ぬ直前まで残るのも聴覚だと言われている。まず耳の感度を上げることが、頭のクリアさにも、自己表現にもつながるので、私は聴覚を特に大事にしています。

──音楽のような自己表現の前に、音を受け取る感性が大切だと。そういう感性はどうやって養えば良いのでしょうか?

授業でやっているのが、たとえば公園に行って音を聴いて、聴いた音を形で表す活動です。サウンドエデュケーション、と言ったりします。雨の音、風の音、小川の音。そういう自然の音を聴き取って、自分の中に蓄積して、それが表現にどうつながるかを考える。聴覚で捉えたものを視覚に変換したり、蓄積した記憶と結びつけイメージを再構成する時に、表現力や感性の芽生えにつながると言われています。

また以前、「デリバリー・アカデミア」(出前講座)で、佐久市の小学生を対象にした、ジュニアリーダー育成プログラムの一環で表現教育の授業を行いました。絵本の中に出てくる音や登場人物の心理を、身の回りにある道具や廃材を使って自由に音で表現するという内容でした。

面白かったのは、小学生たちが驚くほど豊かな発想力を持ち合わせ、楽しそうに、自由に演奏してくれたことです。大人はどうしても『正解か不正解か』『恥ずかしい』といったものが邪魔して『私にはできない』という発言を耳にします。でも表現に正解はない。小学生は、ひらめいたことをそのまま音にできる。大人より反応が良いくらいで(笑)。小学生って素敵だなと思いました。

──先ほど、音楽は「音を楽しむ」ことから始まるという話もありましたが、子どもたちには本来、自由に音を楽しんで表現できる感性が備わっているのですね。

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※喃語:生後4〜6ヶ月ごろから始まる、「ばぶばぶ」「あうあう」というように赤ちゃんが音遊びとして口や舌を使い発する、子音と母音が連続する音からなる声

音楽をもっと街へ。大学の外に表現できる場を増やすには

──最後に、地域連携を増やしていく上で、先生が今いちばん課題だと感じていることは何ですか?

音楽って『敷居が高い』と思われる場合が多くあります。演奏するんでしょ、ちゃんと聴かなきゃいけないんでしょ、みたいに。でも私がやりたいのは、敷居の高いことではなくて、表現としてもっと身近にすること。子どもだけじゃなく、大人にも、音楽を媒体にして広げていけないかなとずっと思っています。
ストリートピアノが流行った時期がありましたよね。ああいう“触れていい場”がもっとできるといいなと思って、権堂の商店街で何かできないか考えたり、本郷駅の空間でもピアノが置けないか聞きに行ったこともあります。でも、計画が変わって壊されてしまったり、管理の問題があったりで、うまくいかなかった。

──大学の中だけで完結しない、という話が、ここでも繰り返されている気がします。音楽は日常で聴いている人が多いのに、『自分が表現する』となると途端に閉じてしまう。

そうなんです。学生でも音楽はすごく聴いている。でも、いざ自分が歌うとか演奏するとか、表現するってなると閉じこもっちゃう。だから市民が気軽に音楽を感じたり、自分で表現したりできる場を作りたい。でも大学の中でも、音楽の話をゆっくりできる機会が少なくて、今日みたいに話せたのは貴重でした。

──松本はストリートピアノがあって、ときおり演奏されている方もいますね。

そうなんですね。松本は音楽の街のイメージがある。長野市でもそういうふうにできないかな。子どもが自己表現できて、保護者も少し楽になって、地域の人も交わる。音楽って、そういう場づくりに使えると思うんです

──地域の方にとっては安氏先生のような音楽の先生に『何を相談していいか分からない』という壁があるかもしれません。でも今日の話を聞くと、子育ての場、表現の場、公共の場づくりとして、相談の入口は意外と広いですね。

そうだと嬉しいです。まずは一緒に考える、まずは試す、というところから始めたいですね。

──今日はありがとうございました。

編集後記|世界をどう見るかが、音楽や表現のあり方にもあらわれる

本文では書ききれませんでしたが、インタビューの終盤で「死生観と音楽」という少し意外で、印象深い話がありました。西洋の葬送行進曲には、日本のそれと違ってただ暗いだけではない独特のリズムや、途中で明るさが差し込むような展開があり、そこには「死=終わり」だけではなく、死をどう受け止め、どう送り出すかという考え方が表れているのではないか、と先生は語っていました。

沖縄出身の私にとっては、お墓の前でごはんを食べたり歌ったり、お盆にエイサーを踊ったりするように、死者を遠ざけずに迎え入れる感覚が、生活の中に自然にあります。だからこそ、先生の話を聞きながら「自分は近いかもしれない」と感じた一方で、こうした感覚が“普通”ではない地域もあるのだと改めて知りました。

子どもの自己表現を支えるという今日の主題とも重なって、音楽は「上手に演奏するもの」というより、言葉にならない感情や記憶、そして生と死の受け止め方まで含めて、ひとりひとりの内側をひらく媒体になり得るのだと思います。インタビューを終えて、私は音楽を少し違う目で見ています。それは、ただ聴くものではなく、命のあり方を問い直す入口にもなるものなのだと。そして何より、自分のルーツや文化を、改めて大切に感じる時間にもなりました。